さようなら。という日本語

日本にも、別れの挨拶は存在する

「さようなら」だ。これだけでお気付きの方もいるとは思うが、続けさせてもらうと、「使ってないよね?」ということである。
 

お疲れ様、という日本語

現代の日本人はとにかくお疲れだ。会ったらまず「お疲れ様です」別れるなら最後の言葉は「お疲れ様でした」である。なんなら乾杯の音頭も「おーつかれさまでーす↑!!!」でもある。なお、筆者は諸々の事情により、「おつか〜!」を多用している。
いったいいつから我々は「さようなら」を使わなくなったのだろうか。

お忘れではないだろうか

1番最初に習うはずの別れの挨拶は、「さようなら」だ。とはいえ、口語的でないという感覚は幼稚園児でも有り、先生には「さようなら」、友達には「バイバイ」「じゃあね」である。
ただ、成人してから聞いてみた所によると、「さようなら」はやはり、「せんせーさよーなら」のように、先生という単語とセットになるようだ。納得である。

使ってみた

ここ数ヶ月ほど、「さようなら」を使ってみた。今日、苦情がでた。
つまり、「毎日会うならともかく、たまにしか会わないのに」ということである。
確かに私もこれには納得した。小学生のとき、散々「さようなら」と言ってきた相手とは、毎日会うのが前提だったのだ。そもそもたまにしか会わない相手に「またね」とまたチャンスがあることを強調するのは自然であるし、また、受け入れやすい。次のチャンスについて言及できない「さようなら」では今生の別れという感がするのである。なるほどね。

では、お疲れ様とは

それなら、「お疲れ様」はどうか。これはそもそも、別れについて言及していない。本来は相手をねぎらう言葉だ。足労頂いたねぎらいとしてのそれもあるだろうし、一緒に何かしてくれた事に対する、疲れさせてしまったね、という意味でのそれもあるだろう。
「お疲れ様」自体は相手を思いやるただそれだけで、別れについては何も言及せず、ただただ労う単語である。何をしてもされても、まず労いから、という非常に日本人らしい言葉だ。それを言ったということでも、言われたということでも、お互いに日本人らしい部分を満たすことができる。であれば、これを使ったほうが無難なのだ。

結論

「さようなら」は最初に習う別れの挨拶ではあるが、成人後の交友関係で使うにはいささかシンプルすぎ、別れの挨拶であることしか伝えることができない。であれば、「またね」「じゃあな」の方が良いに決まっていたのだ。つまり、交友関係の変化による必然の淘汰であったのだ。

そういうわけで

おつか〜!!!!!